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  • 執筆者の写真Takumi Furusato

映画『ウルフウォーカー』を生み出したものとは:アイルランドアニメーション産業についてのレポート


1月28日、米アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーから第93回アカデミー賞長編アニメーション部門のエントリー作品が発表された。日本からの注目が最も高い作品はやはり興行収入300億円を達成した『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』であろう。だが、このほかにもスタジオジブリ初の3DCG作品となる『アーヤと魔女』、オタワ国際アニメーションション映画祭で長編コンペティション部門グランプリを受賞した『音楽』、国際的にも高い評価を得る湯浅政明監督の『きみと、波にのれたら』など、多くの日本作品がエントリーされているほか、長編アニメーション部門の常連Pixarが手掛ける『ソウルフル・ワールド』、また近年新たな3Dアニメ大国となった中国から『フェイフェイと月の冒険』などがその名を連ねている。


アカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートされた作品たち


エントリー作品のなかでも注目されているのが、アイルランドにスタジオを構えるCartoon Saloonが制作した『ウルフウォーカー』だ。中世アイルランドの町キルケニー、そこに住むハンターの娘ロビンと、近くの森に住む人間と狼、両方の姿を持つもう一人の少女メーヴを中心に描かれるこのアニメーションは、Irish guardianやTelegraph、Varietyなどのメディアから高い評価を得ているほか、2月2日時点での映画情報サイトのIMDbでは10点満点中8.1点、Rotten Tomatoesでは批評家から支持率をしめすTomatometerが99%、一般視聴者からの評価Audience scoreに至っては100%といずれも非常に高い数値となっている。一部では制作費について2,000万ドル(約21億円)に届かないくらいではないかと推察されているが、その詳細は公にされていない。だが、1.5億ドル (約157億円)とも目される『ソウルフル・ワールド』と比べると、非常に少ない予算で製作されたことがうかがい知れよう。アカデミー賞の前哨戦といわれるゴールデングローブ賞アニメーション部門でも『ウルフウォーカー』は注目作品となっているが、大作を好む傾向にあったこれまでと一変し、2019年度には『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』が『トイ・ストーリー4』や『アナと雪の女王2』を抑えて同賞を獲得したことを考えると、『ウルフウォーカー』にも受賞のチャンスは大いにあると見てよいだろう。


『ウルフウォーカー』ビジュアルイメージ


『ウルフウォーカー』のTom Moore監督は、同作の制作会社Cartoon Saloonの共同設立者でもある。『ブレンダンとケルズの秘密』『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』といった作品で世界的な評価を高めながら、同スタジオの収益はこの数年顕著な向上を示してきた。Independent紙によると、同スタジオの収入は2016年の270万ユーロ(約3.4億円)から2018年には386万ユーロ(約4.9億円)と増加している。また、従業員数は2017年の約80名から現在は200名を超える規模にまで成長しているようだ。


Tom Moore監督


Cartoon Saloonをはじめとするアイルランドのアニメーション産業の存在感はここ数年で」非常に高まってきているといえよう。首都ダブリンに拠点を構え、2015年にカナダのメディアグループ9 Storyに買収されたBrown Bag FilmsはDisneyやNickelodeonに作品を供給しているほか、同じくダブリンをベースとするBoulder Mediaは2016年にHasbroの子会社となり「トランスフォーマー」シリーズなどを手掛けている。Cartoon SaloonのCEO、Paul Young氏は2018年のThe Hollywood reporter誌に「現在、アイルランドには2,500名を超える人々が直接アニメーション産業に携わっている」と語ったが、その数はこの数年でさらに増えたであろうことは想像に難くない。アイルランド映画開発庁(Fís Éireann/Screen Ireland)によると、10年ほど前まではフルタイムで働くアニメーション制作者は70人ほどしかいなかったのに対し、現在ではその数は20倍以上になっている、としている。Cartoon SaloonマネージングディレクターのGerry Shirren氏が2017年にインタビューで語った「キルケニーはアイルランド中のアニメーション界の才能を集める磁石のような存在になるだろう」という予想は、徐々に現実のものとなっているようだ。


キルケニーにあるCartoon Saloonのオフィス


アイルランドのアニメーション史はJames Horganが1910年に制作したYoughal Clock Towerという作品をその鏑矢とする。だが、産業としてアニメーションが成熟するのは20世紀後半を待たなければならなかった。1960年代、状況に変化をもたらしたのはGunter Wolfe's studioおよびアイルランド放送協会(Radio Teilifis Éireann、RTE)の設立だった。前者はthe Lyons Teaのテレビ広告などを手掛けてアイルランドアニメーション産業の礎を築き、後者からスピンオフしたQuin FilmsはRTEのために16ミリのストップモーションアニメーションシリーズを制作するなど、アイルランドアニメーション史にその足跡を残している。しかしながら、大まかにいってアメリカやフランスといった国々と比べると産業の規模は非常に小さかったと言わざるを得ない。RTEが提供する番組群の中でアニメーションが重要視されていなかったこと、またこの地域で広告会社があまり大々的な展開を行わず、広告アニメーションの需要が限られていたことがその理由と考えられている。


Youghal Clock Tower animation ,1910


そんな中、アイルランドのアニメーション産業を一変させる男が現れた。Disneyで『ロビン・フッド』や『プーさんとティガー』といった作品にかかわっていたDon Bluthだ。彼と二人の仲間、Morris Sullivan とGary Goldman は1985年にSullivan Bluth Studiosをロサンゼルス郊外のヴァン・ナイズに設立、Steven Spielbergが製作総指揮を務めた『アメリカ物語』の制作を手掛けることになる。そのころ、高い失業率に悩むアイルランド政府当局は多くのマンパワーを必要とするアニメーションに注目、補助金や優遇政策を打ち出し、それにこたえる形でSullivan Bluth Studiosはスタッフごとアイルランドへ移ることになった。かくして、アニメーション不毛の地に突如として350人規模(うち70%は現地雇用)の巨大なアニメーションスタジオが誕生したわけである。『アメリカ物語』は大ヒットとなり、その後製作された『リトルフットの大冒険〜謎の恐竜大陸〜』も大きな売り上げをたたき出した。


Don Bluth


だが、その後Sullivan Bluth Studiosの調子は下り坂となり始める。手書きアニメーション・子供向けアニメーションの復権を目指していたDon Bluthと彼のスタジオは高コスト体質から脱却することができなかったのだ。1989年公開の『天国から来たわんちゃん』は思ったほどの興行成績を残すことができず、1992年公開の『不思議の森の妖精たち』は手書きとCGを組み合わせた意欲作であったが興行的には失敗に終わった。結果、1995年にBluthはダブリンのスタジオを閉鎖、アメリカへ戻ることになってしまった。そして、アイルランドには高いスキルを持ったアニメーターが残されたのだ。技術を活かそうにも生かせる場所がないという状況は、彼らを海外へと向かわせた。90年代の後半には多くのアニメーション制作者が活躍の場を求めて他国へ流出したと考えられている。


アイルランドに残ったアニメーション制作者の一部は、小規模のスタジオでヨーロッパの、時にはアジアの広告会社と作品を作っていくことになる。この状況を変えたのは、90年代から始まったIT技術・インターネット環境の向上だ。80年代中盤ごろからアメリカのIT企業がヨーロッパ本部をアイルランドに置くという動きは見られたものの、当時は通信にかかる費用が高すぎるという欠点があった。これが90年代に解消されたことで、ビジネス拠点としてのアイルランドの重要性は高まっていき、投資も数多くなされることとなった。その結果、これまで海外に流出していた高度な教育を受けた層に「アイルランドにとどまる」という選択肢を与えることになったのである。


世界で最初の長編3DCGアニメーション『トイ・ストーリー』が1995年に公開されたことからもわかる通り、ITはこのころからアニメーション制作においても必要不可欠なものとなっていく。職人的な経験や勘に頼るところが大きい手書きアニメーションに対し、3DCGアニメーションの制作にはより専門的な教育が求められる傾向にある。これにこたえる形で、ダブリンのBallyfermot College of Further Education (BCFE)やDún Laoghaire Institute of Art, Design and Technology (IADT)といった教育機関にコンピューターを用いたアニメーション制作のコースが設けられ、多数の才能が巣立っていったのだ。『ウルフウォーカー』のTom Moore監督もBCFEの卒業生の一人である。アニメーション制作を学ぶことができる環境の充実は、今日のアイルランドアニメーション隆盛の背景の一つといえるだろう。


BCFEの校舎外観


また、税制上の優遇措置や助成金も近年のアイルランドアニメーション産業にとっては大きなアドバンテージとなっているはずだ。2015年から発効したSection 481は、アイルランドで製作される映画・テレビドラマ、ドキュメンタリー、テレビゲーム、そしてアニメーションにかかる支出のうち、32%の税控除を認めるというものだ。ダブリンをはじめ主要四都市以外で製作が行われる場合はさらに5%の控除上乗せがある。また、RTEとScreen Irelandによるショートアニメーションフィルム資金援助プログラム、Frameworksもアニメーション産業育成に一役買っている。2分アニメーションと5分アニメーションの二つの部門があり、対象となった作品にはそれぞれ2万ユーロ(約250万円)と5~7万ユーロ(約630~880万円)が与えられる。『ウルフウォーカー』を製作したCartoon Saloonも2017年公開の短編“Late Afternoon”においてこのプログラムから資金を受けており、「アイルランドのアニメーション産業を高い世界的競争力のあるものにする」というこのプログラムは一定の成果を残しているといえよう。



Screen Irelandウェブ内のSection 481解説ページ


着実に力をつけつつあるアイルランドアニメーション産業にビジネスチャンスを見る企業が現れるのは当然の話だ。Appleは2019年3月25日に独自の配信サービスApple TV+をローンチさせたが、そのオリジナル長編アニメーション映画第一弾となったのが『ウルフウォーカー』であった。Tomm Moore監督とRoss Stewart監督は映画情報サイトSCREEN RANTとのインタビューで「彼らは素晴らしいパートナーで、マーケティング、配給、パブリシティとすべてにおいてうまくやってくれた」とAppleを賞賛している。また、北アイルランドの アニメーションスタジオDog Ears と共同制作の次回作Puffin Rock the movieでは中国のChina Nebula Groupとパートナーシップを締結、2021年春の公開を目指している。


かつて日本の詩人、丸山薫が「ひとびとが祭の日傘をくるくるまはし 日が照りながら雨のふる」と自らのあこがれを重ねて歌いあげた国、アイルランド。そこからうまれた新しい物語の語り部たちの才能は、世界的なストリーミングプラットフォームと外国資本を巻き込みながら、今世界中へと広がっている。


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